福島から自主避難をしているお母さん鹿目久美さんの話を聞く会の報告

 6月22日大倉山モアかれんで「子ども未来プロジェクト・港北」企画で開催しました。

当日は、横浜以外の大田区で活動している方3人を含め14名の参加があり、皆さんからも発言があり会を盛り上げて頂き意義ある会となりました。参加できなかった方もいらしたので、福島の現状を中心に報告します。

 

 鹿目さんは、福島大玉村(二本松の隣で安達々良山が良く見える美しい村)に、2008年に移住し、スローライフを求めてログハウスに居住。2年ちょっとしか住めずに、離村。

 2011年3月11日14時46分は、車の中で大きな揺れを体験。空が暗く、猛吹雪となったそうである。60キロ離れる仲通りを原発の意識もなく運行。停電は1日だけで、12日に避難。情報はラジオのみで、津波の状況も1年後のテレビで知る。NPOや企業や個人の方々の支援を受けたが、行政は何もしてくれなかった。14日ガソリン補給の情報を得て屋外に2時間、4歳の娘と待つ。3号機爆発が11時にあったことを後日知る。その夜、顔がピリピリ、咳が止まらない。被爆の初期症状と後日知り、娘のいのちと健康を守っていこうと覚悟を決める。しかしその夜から、テレビで30キロ以上離れていれば、健康にすぐ影響はないと放映。ほっとする半面、外に出る時は帽子・マスク・ゴーグルで身を守る。18日に実家がある相模原に避難。4月の幼稚園の入園式で帰郷。幼稚園からは、放射能についての話はなく、質問に対して、夏休みまでは、窓を開けない・外遊びはさせないという回答。他の園や学校などは、その様な配慮すらなく、屋外で運動会の練習など普通通りに実施されていたそうである。

避難した人は、クラスで3人。変な人として見られたそうである。放射能について話すことが憚れる現状だったこと。洗濯物を外に干さない家かどうかでその人の意識の判断をするなどの気の遣い様だったそうである。またご近所や親戚から、自家栽培の野菜の御裾分けに戸惑う日々で、親切・善意との板挟みで辛い思いをする。

 8月までは外に出さない・土や草への接触禁止。それでも免疫力低下に伴い、鼻血・咳・高熱・トビヒ・インフルエンザなど続く。ホットスッポトの那須塩原への遠足があり、マスク着用の指示もなく、翌日から高熱・疲れやすい・視力低下などの症状がおこる。週末は、山形に保養に行くなど、免疫力アップの手立てをする。

 被災から4か月後、相模原市の実家に夫を福島に残したまま自主避難。現在は、60名近い福島の親子の保養を受け入れる活動に参加。そして福島での体験を伝える語り部としても活動に専念している。

 

 私はこの生々しい福島の現状を、一人でも多くの人に伝えていきたいと思いました。「知らないというのは罪です」

行政の力を待っていられません。いのちを守れるのは、気がついた人たちが力を寄せ合い、手を差し伸べることだと思います。みんなで、いのちを守る輪を広げていきませんか。

 

 「相模原保養キャンプ活動報告」の資料からの声を紹介します。

  <母ちゃんず 代表> 原発事故が起きたあの時、大量の放射能がまきちらされ、関東に住む私達の子ども達も吸ってしまったはずです。苦しみは他人事ではありません。福島を知ることは、社会を知ること。だから、福島を知ることは、自分達の子どもや未来の子どもを守ることでもあると思います。福島の教訓が生かされず、また原発が動き出そうとしています。私たちに迷っている時間はなく、とにかく小さなことでもいいので、自分らしくできる何かをしていきたいと思っています。今すぐ変えられなくても、2世代先、3世代先の子ども達のために。

  <いわき市からの参加者> 本当に放射能の健康への影響はないのでしょうか?ガレキの焼却は安全なのでしょうか?検査で息子2人の甲状腺に沢山の膿疱が見つかりました。

事故の事は、だんだん風化されてしまうのではないかと、いつも不安がよぎります。この先、子ども達は何十年と生きていくのです。「負の遺産」をたくさん子ども達の世代に残してしまっていいのでしょうか。もう福島だけの問題ではありません。一人でも多くの方がこの問題に目を向けてくださることを願ってやみません。

(文責 風)

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コメント: 1
  • #1

    sextel (金曜日, 03 11月 2017 21:19)

    birbantując

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口座名:子どもの未来プロジェクト・港北
口座番号:00250-0-50790